令和6年5月

世田谷学園には、君たちに目指してほしい3つの人間像があります。すなわち、
①自立心にあふれ、知性をたかめていく人
②喜びを多くの人とわかちあえる人
③地球的視野に立って、積極的に行動する人
ということです。新入生の諸君に入学式で話した「知性豊かで自立心にあふれ、心あたたかくたくましい人間」というのは、この3つを簡潔に言ったものです。

人は何のためにこの世に生まれてきたのか。それは、たった一度の人生を自他ともに、自分も他の人もともに幸せに生きていくためです。3つの人間像は、人生を自他ともに幸せに生きていく人の姿です。そして、教室に掲げてある「明日をみつめて、今をひたすらに」、「違いを認め合って、思いやりの心を」という学園の2つのモットーはそのための指針、また「六波羅蜜(ろくはらみつ)」、すなわち「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」「忍辱(にんにく)」「精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」「智慧(ちえ)」はそのための6つの実践です。「波羅蜜」は、「摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)」の「波羅蜜」で、「到彼岸(とうひがん)」、つまり苦しみの多い此の岸、此岸(しがん)から、心の平和な彼の岸、彼岸に到るという意味があります。
今日は、この「六波羅蜜」の2つ目にある「持戒」について話をしておきたいと思います。「持戒」は戒、戒めを持つと書きます。

生徒手帳の1ページ目に『七仏通誡(しちぶつつうかい)の偈(げ)』があります。大切なことだから、1ページ目に書いてあります。
諸(もろもろ)の悪(あしきこと)は作(な)すこと莫(な)く
衆(もろもろ)の善(よきこと)は奉行(ぶぎょう)し
自(みずか)ら其(そ)の意(心)を浄(きよ)くする
是(こ)れ諸仏(しょぶつ)の教(おしえ)なり
人が見ていようが見ていまいが、悪い行いはせず、善い行いは進んでする。当たり前のことです。誰にでも言えることです。しかし、それをいつも実践できているかというと、そうとは限りません。人が見ていなければ、このくらいはいいだろうとルールやマナーをないがしろにしてしまったり、本当はすべきことなのに面倒くさいから、恥ずかしいからとやらずにいてしまったりすることがあります。

だから、自ら「諸の悪は作すこと莫く 衆の善は奉行し」と戒を持つということが必要になります。この「自ら」というところが肝心です。「諸の悪は作すこと莫く 衆の善は奉行し」、これを「諸の悪は作すこと莫かれ 衆の善は奉行せよ」と表現することがあります。しかし、悪い行いはせず、善い行いを進んでするのは、外からの命令によるものではなく、自らの意志によるものであるべきです。だから、学園では「諸の悪は作すこと莫く 衆の善は奉行し」と表現しているのです。

前回の朝礼で、「形」と「心」は密接な関係にあると話しました。しかし、心は目に見えません。だから、自ら「諸の悪は作すこと莫く 衆の善は奉行し」と戒を持ち、まず目に見える形を調えるのです。そこに心を使うことで、人が見ていようが見ていまいが、悪いことはできず、善いことはせずにはいられない心がつくられていきます。悪をなせば悪の心がつくられていきますが、善をなせば善の心がつくられていくのです。

自分を大切に、人を大切に、自分には厳しく、人には温かく、たった一度の人生を自他ともに幸せに生きていく、それが「旃檀林(せんだんりん)の獅子児」です。「諸の悪は作すこと莫く 衆の善は奉行し」、この当たり前の戒を当たり前に実践して、旃檀林の獅子児の道を堂々と闊歩していってください。

(「朝礼」より)