令和6年11月
「日日是好日(にちにちこれこうにち)」という禅語があります。中国唐の時代末期の雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師という方の言葉で、以前、映画のタイトルにもなりました。言葉の上では、毎日毎日が結構な好い日であるという意味ですが、なかなかそうはいかないのが私たちです。
その日の天候や出来事で、今日は好い日だと思うこともあれば、悪い日だと思うこともあります。
また、日本では、吉日、凶日などと言って、物事をするのに好い日、悪い日というのを区別することがあります。「先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口」のいわゆる「六曜」がありますが、これは、結婚式は大安の日に挙げる、お葬式は友引を避けるというように、冠婚葬祭とも結びついています。
しかしながら、兼好法師は『徒然草』の中で「吉日に悪をなすに必ず凶なり。悪日に善を行うに必ず吉なり。吉凶は人によりて日によらず」と言って、吉凶禍福は、日によるのではなく、人の心の如何によるのだとしています。
私たちの生活には、自分の思いどおりにならないことがいくつもあります。それにとらわれると、気分が落ち込んで、すべてのことに対してやる気を失ってしまいかねません。そうすると、悪日を過ごすことになります。
反対に、思いどおりになることがあれば気分もよくなりますが、それにとらわれて有頂天になると、驕りや過信で、後の大きな失敗につながる原因を見過ごしてしまいかねません。一時的に気分はよくても、そうした無自覚な過ごし方をするならば、それはやはり悪日と言わざるを得ません。
精霊祭のときにも話したように、家族がいる、仲間がいる、衣食住が足りている・・・、当たり前のように思えて、実はそれだけでありがたいということが 私たちにはたくさんあります。一見悪い出来事も、感謝をすれば何かを改めさせてもらえるチャンスとなります。だから、思いどおりにならないことがあっても、それにとらわれて嘆いたりイライラしたりするより、何かしら喜びを見出して、感謝で心を満たしていく。思いどおりになることがあったときも、それにとらわれて有頂天になるのではなく、「おかげさま、おかげさま」とやはり感謝をしていく。そこから、「今、ここ」に真摯に向き合う勇気、他の人たちを思いやる慈悲、その心に基づく言動が生まれてきます。そうして毎日を過ごしていくとき、目の前に日日是好日の世界が広がっていくのです。
2週間後、お釈迦様の成道に因んだ、恒例の臘八摂心(ろうはつせっしん)が始まります。有志の生徒諸君が、この修道館アリーナを道場として毎朝7時から約40分間坐禅をする、学園の伝統ある大切な行事です。坐禅は、「今、ここ」の姿勢、「今、ここ」の呼吸を調えることだけに「今、ここ」の心を使ってただひたすらに坐ります。それは、とらわれを手放し、「感謝」を敏感に感じられる心を培う営みです。本来、12月1日から8日までのところ、今年は日曜日の関係で12月2日から7日までの6日間となってしまいますが、世田谷学園ならではのこの臘八摂心、ぜひ多くの生徒諸君に坐ってほしいと思っています。
(「朝礼」より)