令和6年7月

君たちは一人ひとりが「かけがえのない尊い存在」です。「りっぱな人間になることのできる力」を持っています。しかし、一人では生きていけません。人と人との間で支え支えられて生きています。だから、「人間」といいます。

ある農家に生まれた若い女性の話です。
彼女は、もの心つく前にお母さんを亡くしました。しかし、寂しくはありませんでした。それはお父さんに可愛がられて育ったからです。
お父さんは働き者で、丹精込めて田畑を耕し、それだけでなく、村のためにも力を尽くしました。行事や共同作業には骨身を惜しまず、まとめ役も買って出ていました。まさに精進と布施の人と言える、そんなお父さんを女性は尊敬し、二人は心温かく暮らしていました。
ところが、女性が高校三年生のとき、お父さんの運転していたトラクターが、居眠り運転のトレーラーに衝突されてしまいます。
病院に駆けつけた女性に、お父さんは苦しい息の下で切れ切れに言いました。「これからはお前一人になる。すまんなあ……」。そしてこう続けました。「いいか、これからは〝おかげさま、おかげさま〟と心で唱えて生きていけ。必ずみんなが助けてくれる。〝おかげさま〟をお守りにして生きていけ」。
お父さん自身がそうして生きてきたからこその言葉だったのだと思います。お父さんからもらった〝おかげさま〟のお守りは、女性を裏切ることはありませんでした。親切にしてくれる村の人々に、女性はいつも〝おかげさま〟と心の中で手を合わせました。そんな女性に村の人々はどこまでも優しく、その優しさが彼女を助け、支えたということです。

〝おかげさま、おかげさま〟と心の中で手を合わせて感謝をする。それは人生を豊かにする種となります。
いただいた優しさに心から感謝をする人は、この話のお父さんが村のために力を尽くしたように、自分も他の人に対して、慈悲の心、思いやりの心をおこし、自らの力を使おうとします。そうして布施がめぐりめぐっていくことで、自他の人生が豊かになっていきます。

以前、11月の創立記念弁論大会で、大本山永平寺での一泊参禅を経験して感じたことを話してくれた生徒がいました。
「不平不満は感謝の気持ちの欠如から生じる。この世に生を授かったこと、親がいてくれること、衣食住が足りていること、日々、当たり前になりがちなことに対してこそ感謝をしていく。それによって人生はより豊かで幸せになる。悪い出来事だって、感謝をすれば、何かを改めさせてもらえるチャンスとなる」

家族がいる、仲間がいる、三度三度の食事をいただける、夜は布団に入って眠ることができる……、当たり前に思えることも、実はそれだけでありがたいということが私たちにはたくさんあります。それなのに、私たちは意外とそのことに鈍感です。だからこそ、たとえイライラすることがあっても、そのことにとらわれるより、何かしら喜びを見出そうと努めて、〝おかげさま、おかげさま〟と感謝で心を満たしていく。

「かけがえのない尊い存在」としてこの世に生を授かり、「今、ここ」をこうして生きている。それは多くの〝おかげさま〟があってのことです。精霊祭に当たり、そのことを深く胸に刻んで、たった一度の人生を自他ともに豊かに幸せに生きて行く、その誓いをあらたにしてほしいと思います。

(「精霊祭」より)