令和7年1月

令和7年、明けましておめでとうございます。

今年の干支は「巳」、動物では「蛇」が当てはめられています。
私も今年は年男ですが、早生まれなので、同学年の友人の多くは一つ前の辰年生まれでした。「辰」に当てはめられているのは「龍」です。子供の頃は、龍と蛇とを比べて単純に龍の方がカッコイイと思っていたので、その友人たちをうらやましく思ったものでした。しかし、調べてみると、蛇は執念深いとされている一方で、助けてくれた人に忘れずに恩を返す、あるいは生命力を象徴する縁起のいい動物とも言われていて、今は巳年生まれも悪くはないと思うようになりました。

また本来、巳年の「巳」という字は、母親のお腹の中で頭とからだができかけた胎児の形を表す象形文字で、「起こる、始まる、定まる」といった意味があるということです。これは巳年生まれの人というより、巳年という年に言えることだと思います。
ただし、君たちにとってこの一年がどういう一年になるかは、もちろん干支が決めるわけではなく、君たち一人一人の自らによります。

昨年11月の朝礼で「日々是好日」の話をしたときに、『徒然草』にある「吉日に悪をなすに必ず凶なり。悪日に善を行うに必ず吉なり。吉凶は人によりて日によらず」という兼好法師の言葉を紹介しました。吉凶禍福は、日柄が好いとか悪いとかではなく、その人の心の如何によるのだということです。
また、中国・宋の時代の文章家である蘇老泉という人は、「功の成るは成るの日に成るに非ず。けだし必ず由って起る所あり。禍の作(おこ)るは作る日に作らず。また必ず由って兆す所あり」と言っています。成功は、ある日突然にもたらされるのではなく、平素の努力の積み重ねによって成し得るものです。指をくわえて待っていても「因縁時節の到来」はありません。禍の多くもまた、ある日突然現実のものとなるのではなく、以前からその芽があるものです。それをそのままにしているから禍が現実となってしまいます。
努力を重ねるのも、禍の芽を摘み取ろうとせず放置してしまうのも、その人自らによるところです。

ならば、巳年が持つ「起こる、始まる、定まる」という意味、君たちにはこれを「起こす、始める、定める」にしてほしいと思っています。「起こる、始まる、定まる」のを待つのではなく、自らによって「起こす、始める、定める」のです。
年の改まった正月は、自身の心構えを磨き直す絶好のチャンスです。一年の始まりに、禍の芽を摘み取るため、功を成すため、新たな発心を起こし、その発心に基づく努力を始め、何が何でもそれを継続するのだという思いと行動の軸を定める。自らによって、この一年を素晴らしい一年にしてほしい、そう願っています。

最後に、6年生は、来週末の共通テストからいよいよ大学入試が本格化する、そういう時期に突入しました。しかし、「明日をみつめて、今をひたすらに」努力を重ねていく限り、試験のその当日まで、君たちは君たちの力をまだまだグッと伸ばしていくことができます。君たちはすでに志望大学合格という発心を起こし、そのための努力を始めています。ここで今一度、その思いと行動の軸を定め直し、旃檀林の獅子児としての気概を胸に、全力でこの冬に立ち向かってください。冬来たりなば春遠からじ──厳しい冬を越えればその先には春が待っています。学園は君たちの果敢な挑戦を応援しています。

(3学期「始業式」式辞より)