令和7年4月

 昨日の入学式に続き、本日は始業式を迎え、全学年が揃いました。新しい年度の始まりです。一人一人が、自分を大切に、人を大切に、自分には厳しく、人にはあたたかく、この世田谷健児、旃檀林の獅子児としての自覚をあらたにしてほしいと思います。

 さて、始業式に当たり、上級生の諸君には繰り返しになりますが、君たちが毎日当たり前にしている、そして新入生もすでにしてくれている、「校門での礼」の意味について、あらためて話をしておきたいと思います。

 「校門での礼」には、4つの意味があります。
 1つ目は、もちろん出入の挨拶ということです。校門には先生や守衛さんがいます。だから、礼をする前あるいは後でしっかりと声を出して挨拶をする。朝は「おはようございます」、帰るときには「さようなら」、集団の中に自分を埋もれさせてしまうのではなく、一人ひとりが主人公として、気持ちのよい挨拶をする。挨拶はお互いの魂を開く鍵です。そこからお互いを尊重し合う心も生まれます。
 2つ目は、学園の歴史と伝統に対する敬意です。校門の正面にあるブリッジに、校章と教育理念である“Think&Share”の文字が掲げてありますが、校章には学園の歴史と伝統が込められています。
この演台にも校章がありますが、校章の右側の模様は大本山永平寺の紋である久我竜胆(こがりんどう)、校章左側は大本山總持寺の紋である五七の桐(ごしちのきり)をデザインしたもので、この部分は、昔からずっと変わりがありません。以前は、この中に中学校の「中」、あるいは高等学校の「高」という文字が入っていましたが、1991年の創立90周年以来、ここには三角と円弧の形が入っています。三角は君たちが坐禅をしている姿、智(ち)と徳(とく)を修め学び、身(み)と魂(たま)を鍛え磨く姿を表し、円弧は地球というやがて君たちが活躍する舞台を表しています。
 3つ目は、校舎に対する感謝です。発心館(ほっしんかん)、観性館(かんしょうかん)、修道館(しゅうどうかん)、放光館(ほうこうかん)、そして校庭も含めて、これらは学業やクラブ活動などを通じて、君たちが、自らの内にもつ仏性(ぶっしょう)、本来の面目というかけがえのない価値を光り輝かせるための大切な道場です。その道場に対する感謝です。
 4つ目は、校内各所の仏像に対する敬虔の念です。仏像は単なる偶像ではなく、内にもつかけがえのない尊い価値を明らかにした歴史上の実在した人物です。その方々に対して敬虔の念、うやまいつつしむ心をもつということです。同時に、その方々と同様、君たち一人一人もかけがえのない尊い存在です。りっぱな人間になることのできる力をもっています。だから、君たち自身が自らの内にもつかけがえのない価値、自らのいのちの尊厳と可能性に対しても敬虔の念をもってほしいと思います。校章の中にある三角は、君たち一人一人を表しています。その一人一人にかけがえない価値があるのです。それを光り輝かせるための理念が“Think&Share”です。だから、校門に立ったとき、正面の校章と教育理念を見据えて礼をするということは、君たち自身が自らの内にもつかけがえのない価値に対して礼をするということでもあります。

 以上が、「校門での礼」の意味です。したがって、何気なく頭を下げるのではなく、心を調えて礼をしなければなりません。足を止めずに歩きながら、ポケットに手をつっこみながら、友だちとおしゃべりをしながらでは、心の調った礼をすることはできません。では、礼をするその心を調えるにはどうしたらよいか。心は目に見えません。だからまず、礼の「形」を調えるのです。そこから、心を調えていくのです。
 一で、白線のところで足をとめて、正面の校章と教育理念を見る。
 二で、頭を下げる。会釈ではないので、首ではなく、腰でお辞儀をする。45°以上を意識してください。
 三で、頭を下げている自分を見る。頭を下げれば、自分の身体の脚下が見えますが、同時に心の脚下を見つめて、「自分には『かけがえのない価値』があるんだ、だから伝統あるこの道場で、今日一日精いっぱい過ごすんだ」という心構えを磨き直す。
 四で、ゆっくり頭を上げて、もう一度、正面の校章と教育理念を見る。
 五で、歩き出す。

 帰るときには、振り返って同じように一礼をして、「ありがとうございました」という気持ちとともに「今日一日精いっぱい過ごしたか」と振り返る。

 君たちは、誰も見ていなくても校門で礼をしています。素晴らしい習慣だと誇らしく思っています。さらに礼の「形」に磨きをかけ、その「心」を究めていってほしいと思います。

(1学期「始業式」式辞より)